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ギャスパー・ノエ- Gaspar NOE


- Gaspar NOE
1963/12/27-Buenos Aires

ブエノスアイレス生まれのフランス映画界の異端児

フランスの映画雑誌「STUDIO(2002/5)」によると、↑この優しげな外見と 青年のような声の持ち主の一体どこに彼の映画に見える狂気や不安があるの だろうとありますが、みなさんはどう思われますか?(私にはそのままに見えるのですが。。。)

カルネで40分の中にあれだけの衝撃との鮮烈さを詰め込み、世間をあっと言わせ、その続編カノンではさらに完成度とそこにこめられた「暴力・復讐・インモラル」の密度を高めた。

最新作、「Irreversible」ではその衝撃度は頂点に達し、フランス国内ではあまりの 俗悪さに途中退場する人が続出。映画史上、最長と言われる長回しのレイプシーン (あの美女モニカ・ベルッチの顔が・・・!!)をはじめとするモラルなき内容もさることながら、ぐるぐる回るカメラワークも嘔吐感を催す大きな原因。

賛否両論はともかくとして、私はこの監督には内に潜むオドロオドロシイ才気を 最後まで見届けてやろうと思っている。 彼の挑発は止まる所を知らない。

バイオグラフィー

1963年、ブエノスアイレスに生まれ。父は画家、母はソーシャル・ワーカー兼英語教師。父がグッゲンハイム助成金をもらったため5歳でニューヨークへ移住。6歳でブエノスアイレスに戻る。13歳の誕生日にフランスへ(両親が政治難民となったため)。
少年時代は4コマ漫画家を志すが、絵が苦手なため映画の道へ。17歳でルイ・リュミエール校に入学。映画高等技術学科を2年後に卒業。
84年「TINTARELLA DI LUNA」、86年「PULPE AMERE」と2本の短編映画を発表。90年、イデック(IDHEC/パリ高等映画学院−現FEMIS)を卒業したばかりのルシール・アザリロヴィックと共に、LES CINEMAS DE LA ZONEを設立し「カルネ」の制作を開始。当初は15分程度の作品になる予定が40分になった。91年に発表となるや、カンヌ国際映画祭で、国際批評家週間賞・批評家週間ヤング審査員推薦賞を受賞。その他多数の国際映画祭に出品される。
94年より「カノン」の制作に入るが資金がつき、一旦中断。96年のルシール・アザリロヴィック監督「ミミ」に撮影・美術監督、制作プロデューサーとして参加。この頃、アニエスb.の資金援助により「カノン」の撮影を再開。98年のカンヌ国際映画祭で熱狂を持って迎えられる。

フィルモグラフィー

91 Carne / カルネ
98 Seul contre tous / カノン
02 Irreversible / アレックス


左から公開年度、フランス語タイトル/日本語タイトルになっています。
日本語タイトルで()が付いているものは未公開です。(訳は私の直訳です)
間違いなどあればぜひ教えてくださいね。
がついているものは私が見たことがあるものです。



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