|
「スーツ」について
第16回東京国際映画祭で2冠に輝いた秀作「スーツ」の監督にインタビューしました。
|
『スーツ』 バフティヤル・フドイナザーロフ監督・インタビュー
1956年、旧ソビエト連邦ドゥシャンベ生まれ。1989年、全ロシア国立映画大学監督科を卒業するまで演出を学ぶ。在学中、86年に短編映画を初監督したのに続き、89年にはドキュメンタリーも手掛ける。長編劇映画『少年、機関車に乗る』('92)で監督デビューを果たすや、様々な賞を受賞する。続く第2作『コシュ・バ・コシュ/恋はロープウェイに乗って』('93)は、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲得。1999年、第12回東京国際映画祭コンペティション出品作『ルナ・パパ』('99)は、芸術貢献賞に輝いた。
Q: この物語は、多感な時期の少年たちが主人公です。彼らにとって、"スーツ"というのは、大人の象徴であるとともに、人生の転機を象徴するものでもありますね。この映画は、"スーツ"をモチーフに、多感な青春時代を描くことに成功していると思いますが、この発想は、どこからきたのでしょうか?
ここで描かれるスーツは、贅沢や生活必需品としての意味ではなく、彼らがこれから入っていかなければならない大人の人生への入り口の象徴なんだよ。
この発想のもとは、とてもシンプルなんだ。アイデアはいつも自分の中にあったしね。私が16,7才の頃、同じようにスーツが欲しかった。今の若者でいえば、リーバイスのジーンズかもしれないけどね。何しろその頃のスーツは、母が一ヶ月働かないと買えないくらい高いものだったんだよ。それを欲しい、なんて言ったらきっとひっくり返っただろうね。だからずっとこのアイデアは私の中にあったんだ。
Q:『ルナ・パパ』のロケ地は、タジキスタン以外も登場したようですが、今回初めて、故郷を離れた場所での撮影をされましたね。例えば、同じ旧ソ連出身の監督、イオセリアーニやタルコフスキーは、故郷を出てからヨーロッパで活動しましたが、あなたは違います。黒海沿岸の町クリメは、あなたの故郷への郷愁を強く感じさせる場所だったと、どこかで聞いたのですが、何か故郷へ対する強いこだわりがありましたら、お話ください。
そうだね。現在、私にとってタジキスタンで映画を撮ることは、とても難しいんだよ。政治的な意味でね。
クリメで撮るのを思いついたのは私自身だよ。クリメはその歴史を見ると分かるように、多くの人種が生きている。中央アジアの様々な場所にルーツを持つ人たちがクリメで暮らしているんだ。ギリシア、アルメニア、ロシア、トルコ、タッタリアなど。それが中央アジアで過ごした私の子供時代を思い出させるんだよ。今は馬鹿げた人種問題が起こったりして、少し変わってしまってはいるけれどね。
Q:監督の作品は、展開の面白さだけでなく、構図や流れるようなカメラワークも大きな見所の一つだと思います。今回、撮影監督のウラジミール・クリモフさんと初めて組まれていかがでしたか?
私は映像や構図をよく勉強した監督だと思うよ。
私にとってダイアローグは自然の一部なんだ。鳥がさえずるように自然に、絵のようにダイアローグを撮りたいと思っている。クリモフのように良いカメラマンはなかなかいないよ。彼はタルコフスキーやベイルマンのカメラマンのように出来るんだ。彼は、ドラマトロジックに考えることが出来るカメラマンだよ。私のドラマツルギー(ドイツ語 Dramaturgie・・・演劇・戯曲に関する理論。演劇論。作劇法。)にしたがって、彼は撮ることが出来る。彼と私は非常に近くで仕事をし、カラーや構図について話し合いながら撮影を進めていったよ。カラーは色々なことを語ることが出来るからね。
Q:クリモフさんとは、どのように出会ったのですか?
12年間モスクワに行ったり来たりしてるうちに、映画業界の中で彼と知り合ったんだよ。
Q:ベルリンに住んでらっしゃるようですが・・・。
12年前からベルリンとモスクワに住んでいるけど、最近はベルリンにいることの方が多いね。ベルリンの方が静かに過ごせるので、集中して映画の準備が出来るんだ。それをモスクワでやる、という形をとっている。
Q:前作『ルナ・パパ』と、今回の『スーツ』に共通することは、ファンタジー性、というものがありますが、もう一つ、主要な登場人物が幸せの絶頂で突然姿を消します。それは、ちょっとびっくりする展開なのですが、監督は物語を語る上で、どのような事を心がけていらっしゃるのでしょう?
まずどのファンタジーにも共通するっていうものはないんだよ。だから共通して心がけていることは何もない。
次にファンタジーというのは、必ず終わらなければならないんだよ(笑)。ファンタジーには我々の人生が反映しているからね。終わったときから観客は考え始め、何かに備え始めるから、人生と同じように幸福と悲劇は同時に起きなければならないんだよ。花のようにきれいな時期はあっても、必ず枯れてしまうようにね。
Q:登場人物の一人は、自分とは異教徒の女性を愛するがゆえに、割礼までしますね。このシーンは、余りにも可笑しいと共に切なくもありました。監督の描く世界はいつもある種の喜劇性と悲劇性が入り混じっています。そして、ロマンティシズムとノスタルジーもうかがえます。そのことについて、どうお考えですか?
そうだね。彼はユダヤ教徒に恋をしたので割礼をした。それはロマンティックなのかもしれない。だけどそれがロマンティックかどうかは、自分ではなんとも言えないね。
それから、ノスタルジーについては、それは全ての人が持ってる普通の感情だと思うんだよ。いい事や悪いことの記憶。大抵人は、いい方の記憶を思い出す。人生を続けていくには悪いことでなく、いいことを思い出さないとね。そうしないと人口もグッと減ってしまうでしょう(笑)。
Q:監督の描くノスタルジーは理想主義的な側面もあるのでは・・・?
我々が小さかった頃、母がいたことは理想的なことだったんだよ。守ってくれたことやいい思い出をくれたこと、誕生日とかにね。人々はたまに過去を訪れることは大事だし、いい思い出の方を思い出すことの方が多いでしょう。
Q:そうですね。この作品は、悲劇的でもユーモアに溢れている。悲喜劇性こそが、この作品の一番の特徴だと思うのです。今回、難しいジャンルである、悲喜劇モノに挑戦されたと思うのですが・・・。
私はコミカルなシーンが大好きなんだよ。私の人生も、まったくコミックだしね。(笑)思うに、笑いの要素は、人に一体感をもたらすんだ。日本の観客の皆さんにも、笑いのシーンは通じていたし、ユーモアの感覚は世界に通じるところがあると思うんだよ。だけど、悲劇は少し難しい。それぞれの国によって、固有の悲劇があるからね。
Q:監督の描く家庭環境は、必ずしも幸福だとはいえないかもしれません。多かれ少なかれ、何か問題を抱えている人々ばかりです。(崩壊した夫婦間に育つ子供たちや、自分を妊娠させた男を探す少女、etc)だけど登場人物たちは、それをさして気にするような素振りも見せないし、意に介していないように見えるのです。それは、あくまでも優しい視線で、決して皮肉的なものではありません。このような人物設定をされるのは、なぜでしょうか?
私はいつも、現実を描こうとしている。ソ連の崩壊後に何が起こったか。今17,8才の若者は新しい国で育ったことを理解しないといけないんだよ。マフィアとか経済の問題。アイデンティティーをなくしてしまっている。
一方彼らの両親は絶望している。父や母は一つの国で育ったのに、突然崩壊してしまった。ウクライナの問題とか、政治的にみると非常に悲劇的だと思うよ。
Q:監督はご自分の経験も、映画の中に取り入れていらっしゃるのでしょうか?
部分的にはね。私がベルリンに住みだした理由は、私の国で何が起ころうとしているのか理解出来なかったし、(国が)どこに行こうとしてるのか、さっぱり分からなかったからだ。
でも今は分かるんだよ。新しい政治になって、新しい大統領が来て、新しい政治家が来てね。旧ソ連は、11の共和国に分かれて、今は少なくとも普通の知的な政治が行われてると思うよ。しかしエリツィンの時代はひどかった。乱暴な資本主義が導入されていたんだ。
個人的な体験としては、父の悲劇を見ているよ。母は女性だから、もうちょっと適応していたように見えた。そうせざるをえなかったからかもしれなし、もっと地に足がついてたからかもしれない。しかし、大人の男達は本当に大変だったんだよ。
Q:そうですか・・・。話は変わりますが、監督の全4作には必ず乗り物が登場しますが、それは何を意味しているのでしょうか?
私は生活を築いていくのが大好きだ。よいボートや珍しい自動車、動物からはエネルギーを受けるんだよ。映画に登場する動物は画面にエネルギーをもたらすしね。すべてが動いている生活、その動きは小難しい心理学をぶち壊すんだ。私は人生についての映画を撮りたい。だれかの心の問題を描いたものでなくね。人生はそれだけですでに難しいものだから、もっと難しい心理学を持ち込む必要はないと思っているんだよ。
Q:私はいつも、監督作品の冒頭に登場する献辞の言葉を楽しみにしています。例えば、『コシュ・バ・コシュ』(Kosh Ba Kosh.)では"愛する女たちへ"、『ルナ・パパ』(Luna Papa)では、"母たちへ"と、複数系ですね。その言葉は、物語によく合っていて、ある意味大きなヒントというか、監督からの目配せだと思います。いつも、献辞の文句を練りに練ってらっしゃるのではないかと想像するのですが・・・。
私はいつも映画を作り始めるときに、誰かに捧げようと思うんだ。そうすることで、もっと責任を持つことが出来るんだよ。例えば私が誰かにプレゼントをあげようと思ったとき、誰にあげるか決めていないと、どんなものにしようか決められない。自分にとっては映画を撮ることは人生そのもので単に職業ではないんだよ。だから常に誰かに捧げている。この映画では神に捧げている。神に何かを捧げたいことも人生にはあるでしょう。
Q:もちろん、そうですね。私はいつも献辞をみてどんな映画か想像するのが楽しみなんです。
ありがとう。この映画は友だちに捧げたものでもあるんだよ。失った友達にね。私は子供の頃の友達をずいぶん亡くした。それは普通のことかもしれないけどね。しかし、その時々、どのような反応をするのかは難しいんだよ。
Q9:それでは、次回作について少しお話を伺えますか?
次回作について語るのは難しい。なぜならまだ準備中で撮り始めてもいないからね。だけど次の作品は、人生を構築しようとする若い女性が主人公で動物も登場するよ。蝶や蜘蛛なんかもね。
Q:とても楽しみです。次回作にはどんな献辞が出てくるのでしょうか?
まだ決めてないよ!
|